戦国時代最強軍団「上杉家」が米沢藩に入った理由をサルでもわかるように説明する
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けたろー
こんにちは、けたろー(@ketaroou)です!
ポコ
人生、意外と知らないことだらけ、のポコだっポ!

今回は、米沢市民が愛してやまない上杉家のお話。

県外の人や、米沢市を全然知らない人は「え?なんのこと?」って思うことでしょう。

そんな人に質問!

「上杉謙信」という戦国大名知ってます?

上杉謙信さん

織田信長、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康などの超有名な戦国大名と同じくらい有名な、戦国時代のスターです!

 

その上杉謙信がお殿様をしていた「上杉家」が、ある時を境に山形県米沢市に住み着くことになったんです。

この上杉家、上杉謙信がお殿様をしていた時は新潟県を中心として活動していたんです。

上杉謙信は「戦国時代最強」「軍神」などと称され、上杉謙信率いる上杉家はまさに常勝軍団!

あの有名な歴史シミュレーションゲーム「信長の野望シリーズ」でも、上杉謙信の戦闘力は織田信長や武田信玄を抜き、断トツのトップ!

不思議じゃないですか?

そんな常勝軍団の上杉家が、なんでわざわざ山形県米沢市なんかに来ることになったんでしょうね?

もっと敵をバッタバッタと薙ぎ払い、全国統一を成し遂げることもできたでしょうに。

今回は、なぜ上杉家が米沢市に来ることになったのかを、「歴史なんか興味ねーよ」という人でもわかるよう、超簡単に説明していきたいと思います。

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米沢藩に上杉家が来ることになった理由は?

山形県米沢市に上杉家が来ることになった理由を語る上で、上杉謙信は直接的には関係ないんです。

米沢市に来る理由を作った張本人が、上杉謙信の養子で跡取りになった上杉景勝と、家族同然の家臣直江兼続のお二人です。

この人たちがいなかったら、米沢市に上杉家が来ることも無かったかもしれません。

そうなれば、今のように米沢市民に敬愛されることも無かったでしょう。

と言うわけで、ここからは張本人の上杉景勝くんに説明をお願いしたいと思います。

上杉景勝さん

上杉謙信さんの養子になった上杉景勝くん

後に米沢藩の初代のお殿様になるボク、上杉景勝は、1556年1月8日に新潟県南魚沼市で生まれました。

お父さんは長尾政景。

お母さんは上杉謙信さんの実のお姉さん、仙洞院です。

最初のボクの名前は長尾顕景と言いました。

ボクがまだ10歳にもならない1564年、急にお父さんが亡くなってしまいました。

どうやら溺れて死んじゃったみたい。

そのことを受け、ボクは子供のいなかった上杉家のお殿様の謙信叔父さんの元に、養子として迎え入れられることになりました。(1559年に養子になったという説もあります)

この時に名前が上杉景勝になったんだよね。

こうしてボクは、自分の生まれた長尾家を離れ、謙信叔父さんの「上杉家」の人間になったんだ。

・・・・・・

・・・

俺が二十歳になった1570年のこと。

謙信叔父さんは、上杉家と敵対関係にあった北条家(神奈川県)と同盟を結ぶことにしたらしい。

謙信叔父さんは、北条家から三郎という、俺より2、3歳年上の兄さんを連れてきた。

どうやら、謙信叔父さんは三郎兄さんをかなり気に入ったみたいで、謙信叔父さんの最初の名前「景虎」を三郎兄さんにくれちまったんだ。

殿様は俺だ!上杉景勝VS上杉景虎(御館の乱)

1578年4月19日、俺が22歳の時、謙信叔父さんは高血圧からくる脳溢血でポックリ死んじまいやがった。

だからあれほど塩分と酒を飲みすぎるなと言ったんだ。

 

さ~て、これからどうするよ。

大名が死んじまったもんだから、当然誰かが跡を継がなきゃいけない。

ふっ、まあその役目は俺に決まりだな。そのために養子に迎え入れられたんだからな。

それに俺は両親ともに上杉家の血を引く血統書付きだぜ。

俺ほど上杉家の跡継ぎにふさわしい男はいないはず。

 

あん!?三郎・・・いや景虎の野郎も上杉家の跡継ぎを狙ってるだと!?

おい、そこのお前!今すぐ日本中に、「この俺が上杉家の大名だ」って知らせを出せ!

そしてお前たち、今から邪魔者の景虎を討つ!!

ものども、出陣じゃぁあああ!!!

 

・・・ええい!くそ、景虎め、なかなかやりおるな。

・・・なにっ!景虎が北条家(神奈川県)に助けを求めただと!?

あの野郎、北条家に援軍を頼むつもりか!?

 

へっ、ざまぁ!北条家は佐竹家(茨城県)と宇都宮家(栃木県)と交戦中だぜ!助けには来れねえよ。

ん?・・・なんだとぉ!?

北条家経由で、武田信玄の息子の武田勝頼(山梨県)が景虎の援軍に向かってるだとぉ!?

兵力は・・・兵力はどのくらいだ!?

なに!?に、2万だとぉ!?

えっ!なんだとぉ!?

景虎の野郎、武田家の他にも伊達家(宮城県)や蘆名家(福島県)にも援軍を要請しているだとぉ!?

まずい、まずいぞ!!

完全に囲まれてしまうじゃないか!

このままではこっちがやられる!

おい、そこのお前!

武田家に「土地でも金でも好きなだけくれてやるから、攻めてくんな」って伝えてこい!

 

・・・・・・

・・・

 

・・・よしよし、武田家を金で抑え込むことに成功したぞ。

これで後ろを気にする必要は無くなった!

一気に景虎を攻め滅ぼしてくれよう!!

・・・・・・

・・・

よしよし、戦局は有利だ。

ん?武田勝頼が「景虎と仲良くしろ」と言ってきただと!?

・・・ち、仕方がない。

おい、そこのお前!

「勝頼サンにお願いされた通り、景虎君と一旦仲良くします」って武田家に伝えてこい!

・・・くそぅ、あと少しで景虎を滅ぼせたものを・・・。

 

・・・・・・

・・・

 

なにっ!?武田家が帰っていっただとぉ!?

ほう、徳川家康が武田家に攻めてきたとな。

へっ!これで景虎を滅ぼすことができる!

景虎との和睦なんぞ撤回じゃ!!

ものども、出陣じゃぁぁあああ!!

今度こそ景虎を滅ぼしてくれよう!

・・・・・・

・・・

なに!?

景虎がまた北条家に助けを求めただとぉ!?

へっ、どうせ今度も来れないんだろ?

なに!?北条軍がこっちに向かってるだとぉ!!

おいお前たち!北条軍を必死こいて食い止めるんじゃぁ!!

・・・・・・

・・・

よしよし、何とか北条軍の攻撃をしのいだぞ。

しかも、もうすぐ冬。北条軍のやつら、大半が帰っていきやがった!

 

ん?

景虎側の食糧が尽きかけているだと?

はっはっは、これはいい!食い物が無くなればもはや時間の問題!

ほほう、さらに景虎についた家臣たちが次々に逃げ出しておるとな!

もう、放っておいてもこっちの勝ちだ!

・・・・・・

・・・

なに!?景虎が自害しただと!?

よーーーーし勝った!!!

上杉家の新しい大名はこの俺だ!

 

こうして俺は、上杉家の跡取りになったんだ。

秀吉サン、全国統一に我が上杉家がお手伝いします!

・・・へっ、あの織田信長が死んだ。謀反を起こしたのは明智光秀か。

その明智光秀も羽柴秀吉に討たれたんだってな。

時代が一気に変わり始めてやがる。

これから大きく成長してくるのは、謀反人明智光秀を討った秀吉だろう。

おーい、兼続く~ん、

秀吉(大阪府)の所に行って「秀吉サン、ボクたち上杉家と仲良くしてください」ってお願いしてきて?

・・・・・・

・・・

その後俺は、秀吉サンと幾度となく共闘することで、秀吉サンから絶大な信頼を得て行ったんだ。

そりゃそうだよな。海を越えて朝鮮にまで行って命がけで戦ってやったんだ。そりゃあ信頼もされるわな。

そして1595年、ついにこの俺、徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元、小早川隆景の6人が豊臣政権の「大老」だと世間に知らされることになったんだ。

小早川隆景は死んじまったんで、実質は5人だがな。(「豊臣家五大老」といいます)

そんなこともあり、1598年、俺は秀吉サンから「上杉家の規模を大きくしてあげるから、新潟を出て、福島県の会津に行って」と言われ、福島県の会津に行くことになったんだ。

規模は120万石。

「石高」って知ってるか?

1石はお米150kgと決まっている。

その120万倍だから・・・なんだ、その、ものすごい権力を与えられたと考えてもらいたい。

そんな凄い権力を秀吉サンからもらったのに、秀吉サンはその年に死んじまいやがった。

まずいな、ウチの直江兼続くんが秀吉サンの側近の石田三成と好意にしてるんだよ。

なんでそれがまずいかって?

秀吉サンが死んでから、待っていたぞとばかりに徳川家康が政権を掌握し始めたらしい。

どうやら次の天下人を狙ってるらしい。

徳川家康は石田ミッチーと仲が悪いんだよ。

どういうことだかわかっただろ?

家康が嫌いなミッチーと繋がってるウチの兼続くん。

つまり、家康は我が上杉家を敵として見てる可能性があるということだ。

まったく家康も厄介で面倒くさい野郎だぜ。

俺、家康と戦うぜ!

この間、俺が自分の城を改修してたり新しい城を建ててたら、家康から「お前、謀反を起こす気だな!?」ってあらぬ疑いをかけられた。

「こっちに来て直接説明しろ」ってよ。

あー、こりゃアレだな。

ミッチーと仲良くしてる俺が気に入らないから、俺を呼び出して始末しようって考えだ。

ちょっと兼続くん、家康に「謀反なんか起こしてませんよ、起こす気もありませんよ。だからそっちには行きません」って手紙書いて送っといて?

あ、ちゃんと送ってくれたみたいだな。どうもありがとう。

え?ちょっとブチ切れちゃって、挑発的に書いちゃったって?

・・・ま、いいんじゃない?(この手紙を「直江状」といいます)

・・・・・・

・・・

やっべ、家康サン、兼続くんの手紙を読んで怒り狂ってるって連絡がきた!

兼続く~ん、一体何書いたんだよ!

え?家康がウチに対して兵を挙げたって!?

確実に俺を狙ってるパターンだろ!

兼続くんが怒らせるから面倒なことになったじゃねーか!

ええい、仕方ない!

家康は大阪だから、まだ当分やってこれない!

急いで建築中の城を完成させるんだ!

・・・・・・

・・・

そろそろだな。者ども、これから家康を討つ!

出陣じゃぁぁぁああ!!

・・・・・・

・・・

え?ミッチーも周りの大名とかをたくさん引き連れて、家康討伐に出兵したって!?(「関ヶ原の戦い」といいます)

マジか!家康は今俺のところに向かってるんだろ!?

え?家康がこっちに来るのやめたって?

ミッチーさまさまだな!

家康が引き返した以上、こっちも追撃はしない!

者ども、引き上げじゃ~!

・・・・・・

・・・

ふう、まずは一安心・・・でもない!?

今度はなに!?

えっ!?

伊達家(宮城県)と最上家(山形県)が家康側についただと!?

つまり、俺たちの北側は全部敵!?

 

ええい、仕方がない!

者ども、これから北の敵、伊達政宗と最上義光を討つ!

出陣じゃぁぁああ!!(「慶長出羽合戦」、「北の関ヶ原」ともいいます)

・・・・・・

・・・

なに!?

ミッチー軍が家康軍に瞬殺された!?

あー・・・もう、どうにもならない。

この戦、我々の負けだ!

こうして俺は、家康に降伏することに決めた。

俺、家康君に謝りに行ってくる!

ミッチーが家康に大敗して、家康が一層力を強めたせいで、俺たちではもう敵わない。

ちょっと俺、家康に謝りに行ってくる!

・・・・・・

・・・

いや~、どうなるかと思ったけど、必死こいて家康サンに謝ったら何とか許してもらうことができた。

でも、今後は豊臣側ではなく家康サン側につくことになってしまったけどね。

しかも・・・

俺、米沢に行くことになったわ!

家康から「これまでの態度や、先の戦の件は許してやろう。でもお前、会津120万石から米沢30万石に配置換えだ」って命令が下った。

これで俺は、大大名からただの一国の大名に成り下がることになった。

 

こうして、我が上杉家による米沢藩が成立し、この俺、上杉景勝が米沢藩の初代藩主になったんだ。

その後の米沢藩はどうなったの?

徳川家康の命令により、領地を大幅にカットされ米沢藩に移り住むことになった上杉景勝さん。

義理人情に厚かったため、それまでの家臣団6000人をクビにすることなく、全員米沢に連れて行きました。

初代藩主の上杉景勝の死後、跡を継いだお殿様は、子供ができずにその血が途絶えたり、病弱だったり、藩の財政を顧みない浪費家だったり、散々でした。

その結果、石高は15万石にまで減少、米沢藩の累積赤字は20万両(現在のお金で200億円とも150億円とも言われています)まで膨らみ、米沢藩は心底腐り果てて行きました。

もう、誰もどうすることもできないような状況にまで陥っていたのです。

・・・そして、米沢藩の救世主、米沢藩第9代藩主・上杉鷹山公が大活躍するのです。

(参考:米沢観光NAVIWikipedia「上杉景勝」

いかがだったでしょうか?

軍神上杉謙信の流れを汲む常勝軍団「上杉家」が、なぜヘンピな山形県米沢市に来ることになったかよくわかってくれたと思います。

上杉家としてみれば、米沢藩に来ることは全然喜ばしいものではなかったということです。

徳川家康に反抗したばっかりに領土を没収され、米沢藩に「あっち行け」されたんですからね。

米沢藩に来た上杉家のその後が気になりますね。

続きはのちほど。

おわりに

当ブログでは、我が山形県への旅行や移住、特産品の購入を考えている全国の皆さんに対し、少しでも役に立つ情報をまとめています。

わたしが実際に観光地などに行ってみて直接取材していますので、限りなく観光客と同じ目線に立って記事作成に当たっています。

実際にその場所まで行く必要があるので、ちょっと記事を書くペースは遅くなるんですけど・・・

この記事以外にも、山形県内のそれぞれの地方ごとにまとめた記事がありますので、ぜひコチラもご覧ください!⇒【山形県を遊び尽くす】

以上でーす!

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