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けたろー
こんにちは、けたろー(@ketaroou)です!

 

 

今回は、若年層がみんな大っ嫌いな「マウンティング老害」が連発してくる「俺の若いころは」理論は、そのほとんどがムカつくけど、似たような発言がたま~~~に役立つことがあるということについて、「俺の若いころは」理論がいかに無駄な発言であるかという理由を交えてお話していきます。

 

わたしは最近、自分の職場にやたらと「俺の若かった頃はよぉ・・・」「今の若い奴らは弱いなぁ・・・」なんていう風にことあるごとに若年層に対してマウンティング(優位性の誇示)してくるオッサンがいることに気が付きました。

 

色々なネット記事を見てみると、「俺の若いころは」等と若年層に対してマウンティングしてくる年長者と言うのは、往々にして若年層に対して嫉妬心つまり「羨ましい」という感情を抱いているということがわかりました。

 

他人が羨ましいからマウンティングするとか、幼稚園児のおもちゃの取り合いかよ・・・と思ってしまったわたしではありますが、今回、そんな嫉妬老害が使ってくる「俺の若いころは」理論を深く考えてみたところ、「俺の若いころは」理論と同じような言い回しであっても、それが非常に有意義な話である場合もあることに気が付きました。

 

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どの年齢層が「老害」に当たるかは、自分の年齢によって変わる

まず、当記事でお話する「老害」について説明します。

 

「老害」という言葉は、見ただけで良い言葉でないことは分かるでしょう。

 

当記事で言う老害とは、単なる「高齢者」を指す言葉ではありません。若いあなたの成長の妨げとなるような、古い価値観に縛られたカビの生えた思考を持つ、あなたより年上の人物のことです。

 

具体的な年齢で表せるような、例えば退職間際の世代などの事ではなく、あなたが20代であれば30代でも老害になり得ますし、30代の人にとっては40代の人が老害になったりもします。

 

当記事では、主にそんな老害が連発してくる「俺の若いころは」理論についてお話をして参りますので、あなたに対して「俺の若いころは」とか「以前は・・・」「今の若い奴らは」なんていう言い方をしてくるあなたより年上の連中は、例外なく全て「老害」と言う事ができます。

「俺の若いころは」理論とは

おそらく、あなたが勤めている会社などにも「俺の若いころは(ああだった、こうだった)」「以前は(ああだった、こうだった)」「今の若い奴らは(ああだ、こうだ)」などと、

 

・自分の若かった頃の体験談をやたら武勇伝的(もしくは悲劇的)に取り上げた上で、

 

・自分より若い世代を何の根拠もなく皆一緒くたにし、さらに自分の若かった頃の状況と比較して、

 

・現在の若年層を見下げる発言をしてくる

 

連中っていると思うんです。

 

はい、この「自分の若かった頃の体験談をやたら武勇伝的(もしくは悲劇的)に取り上げた上で、自分より若い世代を何の根拠もなく皆一緒くたにし、さらに自分の若かった頃の状況と比較して、現在の若年層を見下げる発言してくる」ということが当記事で言うところの「俺の若いころは」理論です。

 

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「俺の若いころは」理論を使った時点で、既に時代に乗り遅れている証拠であると知れ

この「俺の若いころは」理論を他人の前で一回でも使ってしまった時点で、その人は既に時代に乗り遅れていて取り返しがつかなくなっていると断言することができます。

 

以下、理由を述べていきます。

 

この理論は、何も高齢者ばかりが使っているわけではありません。主に30代から上の年代であれば幅広い年齢層で使われています。20代で使われているのはわたしは聞いたことがありませんね。

 

私生活を除いて、この「俺の若いころは」理論を用いられることで悪影響が出てしまうものの最たるものが「仕事」ではないでしょうか。

 

現代の日本では、SNS等の情報発信媒体が普及したことで、過去数えきれないほど発生した過労死問題やら、サービス残業問題やらに対してやっと世論が団結して強いバッシングを行えるようになりましたよね。

 

SNS等による世論の団結は、もはや政府でさえ簡単に無視できないほど強力な力を持っているということは言うまでもありません。

 

過去の古びた働き方などに対して世論が団結して猛バッシングを繰り広げたところ、これまで事実上無視され続けてきた個々の労働者の人としての人権が認められたのは、あなたも知っている事でしょう。

 

そして、ついに政府が「働き方改革」についての法整備を開始し、超極端な話「労働者は企業の奴隷じゃない。人権を持った一個人である」という事実が世間に認識され始めました。

 

また、終身雇用制度が崩壊しつつある現代、収入面に関しても、会社からの給与一辺倒から脱却するため政府主体で副業が推進されたり、ネットビジネスや当ブログのようなネット広告で収入を得る方法も徐々に広がりを見せ始めました。

 

仕事面はもちろんその他の面においても、現代の日本ではやっと「多様性」というものが認識され始め、「いろんな形があっていい」「いろんな意見があっていい」「いろんな人がいていい」という空気になってきました。

 

TwitterなどのSNSを見てるとそれを強く感じます。

 

ですが、「多様性」を主体的に発信しているのは主にアクティブに行動している若年層の人たちです。もちろん、例えば各企業等のお偉方なども、一応多様性を認める方向に向かって行っているのでしょうが、彼らは本当にそれを快く思っているのでしょうか?

 

「過労死防止」「労働時間短縮」「サービス残業禁止」等と叫ばれ始めたのはここ数年です。今の現存する昔からある企業のトップ連中や退職間際の連中、またはこれまで不当な労働を強いられてきた労働者は、「セクハラ・パワハラ当たり前」「過労死上等」「24時間働けますか」「思想は企業理念のみ」という思考でやってきた連中です。

 

こう言った連中の中には、今の「多様性を認めよう」という日本の風潮が肌に合わない人が出てくるのも、これは致し方ない事なのでしょう。

 

そして、こういう「多様性を認めよう」という風潮が肌に合わない連中が好んで使う若年層に対する威嚇・威圧的な言動の最たるものこそ「俺の若いころは」理論なのです。

 

この理論を使うことで、老害連中は「現代の若年層は楽でいいな」などと言う一種の嫉妬心と自分のこれまで歩んできた社会人生活を顧みて、単に若年層というだけで不快感・不満感をむき出しにし、「今の若い連中は甘い」旨の言葉を強烈にぶつけて攻撃してくるのです。

 

つまり、「俺の若いころは」理論を使うということは、時代が徐々に変わってきたのにその時代に対応できず、自分の辛かった過去と現代を比べ悲観して若年層をいびる行為であると言う事ができます。

 

「俺の若いころは」理論を使う人というのは、変わりたければ変わればいいのに変わることを放棄して若年層いびりに走る、つまり「多様性が主体になりつつある現代に対応できておらず、取り返しがつかない状況になっている」と言うことなのです。

 

「俺の若いころは」理論と有意義な情報は紙一重って本当?

自分から見て年上に当たる連中が「俺の若いころは」と発言してくることは、それを聞く若年層からすれば正直苦痛です。

 

ですが、年長者が「俺の若いころは」という言葉を使って昔の話をしてくることが全て「俺の若いころは」理論に当たるかと言えば、答えはNoです。

 

そして時には、「俺の若いころは」と切り出された内容が自分にとって非常に有意義な話である可能性もあるのです。

 

 

まず、その話を「俺の若いころは」理論として認定するには、次の二つの要件を満たす必要があります。

 

・自分の過去の状況を持ち出し、今の若年層の状況と比較すること

・比較した上で若年層に対し批判的な発言をすること

 

です。

 

あくまで、自分の過去と今の若年層を比較した上で、「批判」に走ることで成立しますので、単に比較で止まった場合は「俺の若いころは」理論に当たらないのは言うまでもありません。

 

年長者が使う「俺の若いころは」という単語が含まれた会話が始まった場合は、よく注意して聞いてみて下さい。

 

そして、相手の話を毛嫌いするのは、相手の話が若年層批判の内容だと確信してからにしましょう

 

一度相手の話を毛嫌いしてしまうと、たとえ相手が有意義なことを言ったとしても耳に入ってきません。頭の中は「早く話し終われこのヤロー」一色になってしまいます。

 

相手がたとえ「俺の若いころは」というフレーズを使って話を持ち出してきたとしても、それが相手の体験談であり、純粋に「昔はこういうこともあった」という体験談をあなたに語っている場合、これをしっかりと聞くことによってあなたはその内容を疑似体験することができます。

 

疑似体験とは自分の知識を増やすための超有益な手段の一つであり、自分よりも経験豊富な人から体験談を聞くということは非常に有意義なのです。

 

だからこそ、年長者の話が「俺の若いころは」理論に基づいた若年層批判の内容なのか、それとも、あなたに純粋に過去の経験を話してくれているのかという所をよ~~~く区別しましょう。

 

おわりに

「俺の若いころは」という言葉を使った言動が「俺の若いころは」理論に基づく単なる若年層批判なのか、若しくは若年層にとって有意義な情報となるかは、

 

・相手の話が「俺の若いころは」理論に基づいた若年層批判の内容なのか

・それとも、純粋に体験談をあなたに教えてくれているのか

 

という部分を、「俺の若いころは」という単語を毛嫌いせずにしっかりと聞き分けることができるかどうかにかかっています。

 

相手の話が過去の体験談だった場合は、有意義な話の可能性がありますので、よ~~~く聞きましょう。

 

ですが、彼ら老害連中の言動が自分の過去と現在の若年層を比較した結果からくる単なる若年層批判であった場合は、顔では笑って心では思いっきり批判してやりましょう。

 

「俺の若いころは」という言葉を使って若年層を下に見る言動は、遥か昔から延々と続いてきたものであり、遡ってみると、古代エジプトやメソポタミア文明の遺跡等に「最近の若者は」などと記述があったという話も聞きます。

 

よって、この「俺の若いころは」という思想は、人類が生きていく上で自然と出てくる言葉であり、おそらく若いあなたが年を取ってその時の若年層を見た時に、同じようなことを言っている可能性だって十分にあると言えます。

 

ただそれが、現代社会では「やたらカッコ悪い、若年層から嫌われる言動」として捉えられていますので、可能な限りその時の社会の状況を受け入れ、それに適応する能力が必要になってきますね。

 

その時の社会に適応できなければ、現代社会で「多様性」を受け入れられなくなっているその辺の「俺の若いころは」理論を多用するオッサンと同類になってしまいますからね~!

 

さあ、それでは本日も、職場のオッサン方が放つ「俺の若いころは・・・」という言葉が、「俺の若いころは」理論に基づく単なる若年層批判なのか、それとも貴重な過去の体験談をあなたに教えてくれているのか、しっかり聞き分けて参りましょう!

 

そして、この記事を読んでいるあなたが誰かから見て年長者だった場合、可能な限り年下に「俺の若いころは・・・」と批判的な内容を言わないようにしたいものです。

 

以上で~す!

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