
あなたは社会人として仕事をしている中で、先輩や上司にこのような類のことを言われたことありませんか?
「え?何お前休むの?ちょっと自分に甘いんじゃない?もっと頑張らないとダメだよ?」と。
このように言われてしまう原因や背景を除外して考えてみると、この国には昔から「仕事を休むことは悪いこと」「自分に厳しくあり、頑張り続ける必要がある」といった類の考え方が存在しています。
数百年にも及ぶ侍の時代によって「武士は命を落とすことを恐れず戦うもの」、戦後の荒廃した日本を死に物狂いで立て直した先人によって「日本人は働き抜いて国の発展に寄与するもの」というDNAがそれぞれ刻み込まれ現代に至っているということは、紛れもない真実です。
ここ十数年でようやく「過労死」「サービス残業」「働き方」などという言葉に注目が集まり、働き方そのものが法律でガチガチに規制されるような状況になっていますが、未だに国を始め、古くから存在する企業の根底思考には「労働者は会社の道具」「休むことは悪い事」といった思考が残存しています。
もちろん、そんなことを公にするはずもなく、世間的な面は現代社会に準じていると装ってはいますが。
これまで死に物狂いで働いてきた高齢社員の中には、働き方改革を受け入れられない人もおり、未だに若手社員に対して法に反した理不尽な要求をしてみたり、根性論一辺倒になっていたりするケースも散見されます。
わたしは、そんなカビの生えた古臭い労働思考に思いっきり「NO」を突き付けます。
当記事では、「仕事を休む」ことは本当に「自分に甘い行為」なのかどうか、自論を徹底的に述べていきたいと思います。
昔思考の人間は、根拠のない根性論で努力を強要したがる
個人の仕事に対する絶対的な努力の量が少なく、こなすべき最低限の業務ですらもこなすことができないなどという特別な場合を除き、「自分に甘い」という言葉を使って相手(後輩社員・部下)を追いつめたり、休みを取得しづらい状況に陥れてしまうのは間違いです。
仕事に関する知識を得たり、仕事で必要な技術を習得するためにはそれ相応の努力が必要であることは言うまでもありません。それらの習得が必要な状況にもかかわらず全く努力をしない社員がいたとして、その社員に注意をするために「お前、自分に甘いよ。そんなんじゃ仕事にならないよ」というのは正当論であり、何も問題ありません。
問題となるのは、常識的に考えて努力をしても何ともならない分野・状況に対して、「お前、自分に甘いよ」と攻めを入れ、休みを妨害する行為です。
例えば、風邪を引いて37℃の発熱があったとしましょう。そんな状態の社員に対し、上司が「お前、37℃くらいの熱で休むの?ちょっと自分に甘いんじゃない?」というのは、大きな間違いです。
風邪をひいてしまった場合、根性論で熱が下がったりすることはありません。一時的に無理をした結果、さらに悪化し長期間離脱しなければならない危険性すらあります。
そのような単純な先読みすらできず、「自分に甘い」と相手を追いつめ、休みを妨害する行為はもはや愚の骨頂です。
もう一つ例を挙げるならば、他人による不可抗力で発生したトラブルで、明日にならないと絶対に解決しない問題であるにもかかわらず、それを即座に解消すべく「お前自分に甘いよ」と根性論で後輩や部下に無理強いをし、部下が本来休める日であったにもかかわらず、絶対に解決し得ないトラブル対応に当たらせるなど、そんな行為も大きな間違いです。
いわゆる「昔思考の人間」は、他人に対し根拠のない根性論で努力を求める傾向にあります。残念ながら、現存している「昔思考の人間」のほとんどがそうです。
前に例を挙げたとおり、特に「体調面」に関して根性論を用いて乗り切らせようとするケースが圧倒的に多いです。
誰しも一度や二度は経験したことがあるはず。
自分の疲れは他人には絶対にわからない
昔思考の高齢社員が何と言おうと、自分が疲れていると感じている時は、自分の心身は間違いなく疲れています。
自分をきちんと休ませるために知っておかなければならない事は、「自分の疲れは他人には絶対にわからない」と言う事です。
意外とこの部分がわかっていない人が多いです。
自分の心身の疲れを他人に知ってもらいたいと思っても、それは無理な話です。他人の心身はあなたの心身とは全く別物なのですから。
まず、この部分を理解しましょう。
「疲れたら休む」「辛かったら休む」は悪い事ではない
本来、「疲れたら休む」「心が辛かったら休む」ということは悪い事ではありません。
疲れや辛さとは自分の心身から発せられる注意信号です。そのまま働き続ければ過労によってダウンしてしまうであろうことは誰しも知っているはず。
ですが、組織の中に入ってしまうとその誰しも知っている常識的なことですら軽視され、「疲れた程度で休むのは悪い事」として捉えられてしまうのです。
特に、繁忙期に入っている企業や、納期が決まっているプロジェクトに参加している労働者はその傾向が強いです。
どうしてそうなるのかというと「皆がやっているから」です。
「皆(みんな)」という集団に入り、一人だけ集団の意に反して違う行動を取ることは、その行動がたとえ正当な行為であったとしても「悪い事」となるのです。
つまり、「忙しい中、皆頑張って働いているのに、自分だけ休むことは悪い事」という心理が働いてしまうのです。
それは人間が自然に感じてしまうものなのでしょうが、どうか覚えておいてください。
たとえ忙しい状況下にあったとしても「疲れたら休む」「辛かったら休む」という行為・選択は悪い事ではありません。
自分が「辛い」「疲れた」と感じるならば、リフレッシュのために仕事を休んでもいいんです。仕事中に多少手を抜いて息抜きをしてもいいんです。
あなたは会社の「道具」ではありません。会社のためにあなたが存在しているのではなく、会社があなたのために存在しているのですから、堂々と休んでいいのです。
日本社会は「若い人ほど疲れる社会の仕組み」であることを知るべし
若い人が疲れたとか具合を悪いとかいうと、「昔思考の人間」つまり老害はよくこんな言葉を用います。
「お前、体力ないね~、若いのに」「体弱いんだね~、若いのに」
誰しも一度や二度は言われたり聞いたりしたことがあるはずです。
現代の日本社会は、「若い人ほど疲れる社会の仕組み」をしているのですから、それは当然なのです。
先輩や上司の機嫌を取り、体力仕事や面倒な雑用をこなすのは、未だに若い人です。
社会の雑用をこなしているのはいつの時代も若年層です。おそらくこれからもずっとその体制は変わらないでしょう。
だからこそ、若い人が「疲れた」「具合が悪い」という状態になった時、それを嘲笑するのは間違っています。
様々な業務にパシリ的にこき使われがちな若年層だからこそ、身体の疲労は溜まるし、上司先輩に対して気疲れを起こすのです。
その部分を、老害はもちろん若年層の皆さんはしっかりと理解しましょう。
自分を休ませられるのは自分だけだと知れ
自分が休みたいとき、実際に休むか否かを判断できるのは自分だけです。
他人にとって、自分のことは所詮他人事ですから、自分で判断すべきことを他人に求めてはいけません。
おわりに
長い社会人生活を滞りなく送るためには、自分で自分の心身状態を整える自己管理は必須です。
その自己管理のために例え周囲に多少の迷惑をかけてしまう状況になろうとも、臆することなく実行すべきだと考えます。
たとえ相手に「お前、仕事休むの?ちょっと甘いんじゃない?」と批判されたとしても、そんな批判は無視して休んじゃいましょう!
だって、あなたの心身状態はあなたにしかわからないんですから。