
【けたろーランド一周年記念特別記事 第九弾!!】
無事にブログ歴1年を迎えた自称【天才過ぎるアホプロブロガー】であるわたくしけたろーが、
「ブログを始めようかなぁ・・・」
「ちょっと抵抗があるなぁ・・・」
と躊躇している人やブログを始めて間もない初心者ブロガーに向け、ブログを運営するに当たり超役立つ情報を10章構成でお届け中!
「俺のブログ論」第九弾である当記事では、「読者・ユーザーが当ブログの記事を読むことによって使うことになる『時間』に見合った価値を提供すべし」という当ブログの果たすべき責務」について、自論を述べてまいります。
「ブログを読んでもらった」「ブログにアクセスがあった」と一言で言いますが、読者様にブログ記事を読んでもらうには、読者様にそれなりの時間を使わせてしまうことになるという事実にお気づきでしょうか?
これに対してあなたは、「ユーザーが勝手に検索してウチのブログにたどり着いたんだから、自分は何も関係ない。勝手に読んで帰れ」とお思いでしょうか?
あなたには「検索してたどり着いた記事を読んだけど、全く何も得られなかった。時間の無駄だった」と言う経験はありませんか?そう感じた時、ムカッとしませんでしたか?
「なんでこんな得るものが無い的外れな記事が記事が上位表示されてるの!?」と疑問感じませんでしたか?
わたしはそのような経験をかなりしたことがあります。そして、実際にブロガーと言う「情報を発信する側」に回った時、その時の読者の感情を強く思い出すようになりました。
わたしは、たとえユーザーが勝手に検索して当ブログにたどり着くとしても、ユーザーの人生の大切な時間を使わせてしまうことに対して少なからず「罪悪感」に近い感情を持っています。
そのため、常日頃から「せっかく当ブログに訪問してくれたのだから、それ相応の価値や有意義な時間をユーザーに与えたい」と考えているのです。
当記事では、自分のブログに相手が訪問し、大切な時間を使ってくれるという事実に対し、わたしの思うところを述べていきたいと思います。
この記事はこんなお話
ブロガーは、「記事を読んでもらえた」ということで満足して終わってはいけない
自分の書いた記事にアクセスがありその記事を読んでもらえた時、ブロガーであれば誰しも嬉しさを感じるものです。
でも、その事実に満足して終わってしまうブロガーがほとんどであると強く感じています。
たとえば、Aというたった1分で読める記事に100回アクセスがあったとします。これは自分にとってはAと言う記事に100PV(ページビュー)集まったと言えますが、言い方を変えれば「世の中の見知らぬ人の可処分時間を100分も使わせてしまった」と言うことができます。
誰しも1日の時間は24時間であり、誰しもその時間を様々な事象に細かく振り分けながら生きています。その大切な時間をたった数分であれど使わせてしまったという事実まで思い至ることができているでしょうか?
わたしは当ブログを運営して記事を執筆するに当たり、執筆時間を捻出することが非常に大変であることに気付きました。つまり、「時間」というのがいかに貴重であり、見知らぬ人に自分の大切な時間を強奪される行為がこれほどまでに不快に感じるものなのか、ということを痛いほど思い知りました。
それはインターネットで情報検索をする上でも同じであり、検索したワードで表示された記事の中身が、スカスカだったりあまりにも的外れだったりした場合、得たい情報が得られずにとても不愉快に感じます。
逆に言えば、自分のブログ記事も見知らぬ誰かからそのように思われているのではないか、と不安に感じる部分でもあります。
このことについて深く考えたところ、「ブログを運営している以上、ユーザーにとって有意義な記事を書く努力義務があるのではないか」と強く感じました。
記事を読んでもらえたということは、「相手に時間を使わせている」という事実に思い至れ
「時間」とは、世の中に生きる生物に対し一律平等に付与されているものです。
ブログの記事を読むのは「一人当たりたった数分」かもしれませんが、それが何百何千何万と集まれば、世の中に生きる人の可処分時間の相当時間を使わせてしまうことになります。
その記事を読まなければ別なことに使えていた時間です。
極論を申し上げますが、その記事が全くのムダ記事であり誰に対しても全く得する情報を与えられなかったとすれば、その記事で浪費された可処分時間は全くの無駄になります。
ですが、同じ可処分時間を全く別のことに有効利用できていれば、それは個々人やその分野に対する投資となります。
わたしは、ブロガーである以上、読者に無駄な時間を過ごさせてはいけないと考えています。
読者に、有意義な情報でも良いし笑えるような娯楽でも良いし、その記事を読むことにより何かしらの情報を与えて有意義に感じていただく義務があるのではないでしょうか。
単に「PV(ページビュー)が増えた(減った)」で一喜一憂して終わるブロガーになるか、それとも読者を意識したブロガーになるかは、ブロガー個人の意識次第です。
だからこそ、ブロガーは個人の日記や無価値な記事を投稿してはいけない
読者は大切な一日の時間の少しを削ってその記事を読みに来ているということは何度もお話したとおりです。
本来であれば別なことに利用できていた他人の可処分時間を自分のブログ記事を読むために使って貰うのですから、相応の価値・意義のある記事に仕立てないといけません。
しかし、他人のブログを色々見て歩くと、その事実にすら気づいていないブロガーが多すぎるのです。
記事の導入部分にその日の出来事を少しばかり書いてみたり、全てがブロガーの単なる日記で埋め尽くされていたり、何の生産性も価値もない他人の批判に終始していたりと、見るに堪えないブログ記事がネット上にはこれでもかとばかり散乱しているのです。
もちろん、初めから「このブログは日記ブログです」とアピールしているブログであれば結構だと思います。そうではなく、タイトルから見てそのジャンルについて専門的に書いてあるだろうと想像がつくにもかかわらず、蓋を開けてみればブロガー個人の日記が先行しているような駄記事のことです。
ですが、その様な無価値な記事の投稿を規制する法律などありませんから、投稿するか否かは最終的にブロガーの良心の問題になってしまうのです。
名も知らぬ読者は、その記事を書いた名も知らぬブロガーのことなど全く興味がありません。相手がその記事を書いたブロガーに全く興味が無いにもかかわらず、ブロガーは読者に対して一方的に私事情を語る。
これは完全にブロガーのエゴです。たとえ自分の運営するブログだとしても、「インターネット上」という公共の場所に投稿する以上、絶対にあってはなりません。
おわりに
「時は金なり」ということわざがあるとおり、時間は非常に貴重なものであり、誰の時間であっても自分から強奪するようなことがあってはなりません。
名も知られていないブロガーが「自分のブログだから」と何の役にも立たない個人日記を記事中に挿入する行為は、読者に何のメリットも与えず、その部分を読ませるにせよ、スクロールで流されるにせよ、結局「相手の時間を強奪している」と同義です。
検索に引っかかるようにGoogleを意識してキーワードを選定し、ありとあらゆる手段を尽くして記事を執筆したとしても、その内容が全くの無駄だったら、いくら上位表示されたところでそのブログ(又は記事)への実質的な評価が高まるわけではないのではないでしょうか?
せっかく自分のブログを訪れてくれた読者に不快な思いはさせたくありません。
読者に時間を使わせて読んでもらうだけの価値がある記事を提供し続けたいものです。
今後とも当ブログでは、読者が自分の時間を使って読んでもらうだけの価値がある、役に立つ記事を量産して参ります。