
今回、全国の皆さんにご紹介するのが、山形県を代表する特産品の一つ「ラ・フランス」です!
ラ・フランスって、石みたいに硬くて、ゴツゴツしてて、実際食べるとガリガリゴリゴリして、ぜんっぜん美味しくないよ!って感じてる人、ちょっと手を挙げてみましょう。
・・・・・・
あ~、結構いますね~。
全くもって残念です。
そりゃ、あなたがこれまでラ・フランスの本当の食べ方を知らなかったっていうだけの話!
わたしから言わせりゃ、これまでの人生で美味しいラ・フランスを食べたことが無いってことは、人生の喜びの3%くらいを知らず知らずに捨て続けてきたも同然!
いい機会です。山形県民のわたくしけたろーが、ラ・フランスの食べ方や美味しさをとことん教えて差し上げます!
そして一時だけでも幸せになるがよい!この圧倒的なラ・フランスの力で!
この記事はこんなお話
「ラ・フランス」って、なに?
ラ・フランスとは、フランスが原産の西洋梨の一種です!
画像引用:山形味の農園
そのゴツゴツとしたブサイクな見た目とは裏腹に、芳醇な香り、超濃厚な甘み、滑らかでとろける口当たりは、あなたの想像をはるかに上回ります!
「みだぐなす」とバカにされ続け、誰にも見向きもされなかった暗黒時代を経て、「洋梨の女王」とまで呼ばれるに至った奇跡の果物、それがラ・フランスです!
「ラ・フランス」の歴史
ラ・フランスが世界で一番最初に発見されたのは、遡ること1864年(江戸時代末期)と、意外と最近のことなんです。
発見したのは、フランス人の「クロード・ブランシェ」さんと言う人です。
フランスでのラ・フランスの名前は、発見者のクロード・ブランシェさんにちなんで「Claude Blanchet(クロード・ブランシェ)」と言います。
そのまんまやーん!
日本に「受粉用」として入ってきたラ・フランス
日本にラ・フランスが初めて入ってきたのは、フランスで発見されてから約40年後の明治36年(1903年)のこと。
最初にラ・フランスの木を導入したのは、静岡県の今で言うところの「園芸試験場」です。
しかも、食べるための目的ではありません。
同じ西洋梨で、先に日本に入ってきていたイギリス原産の「バートレット」の受粉用として植えられたのです。
果物類は、同じ品種の木同士ではなかなか受粉しづらい、という欠点があります。
そのため、実を付けたい木の間に受粉樹を植える必要があります。
当時、バートレット20本に対して1本の割合でラ・フランスの木が植えられたといいます。
こういうのは、ラ・フランスなどの洋梨類もそうですし、さくらんぼなんかもそうです。
さくらんぼだと、かの有名な佐藤錦の受粉樹として最良なのが「紅さやか」と言う品種がそれにあたります。
ただの受粉用のラフランスの木ですから、そんな木の付ける実なんか誰も見向きもしていませんでした。
意味不明!?和梨が天皇家に絶賛されたため、洋梨生産に火が付いた!?
ラ・フランスが日本に入ってきて数年後の明治42年(1909年)のこと。
当時、山形県で和梨の生産が盛んだった屋代村(現在の置賜地方にある高畠町)に、当時の皇太子殿下が行啓にやってきます。
屋代村は、特産品であった和梨を献上して皇太子殿下に食べてもらったところ、皇太子殿下がこれを大絶賛!
「この和梨、メッチャうまい!金一封と洋梨『バートレット』の苗を授けるぞよ!」
と、食べたのは和梨なのに、なぜか洋梨の苗を返してよこすという暴挙に出ます。
この出来事が、山形県内における洋梨生産が増加していくきっかけとなりました。
山形県に入ってくるも、嫌われ、バカにされ・・・
大正時代になると、洋梨生産増強中の山形県にも、バートレットの受粉樹としてラ・フランスの苗木が入ってきました。
ここでラ・フランスは、洋梨生産農家からひどい仕打ちを受けることになります。
「せっかく実がなっても、硬くて石みたいでとても食えたもんじゃねー」
「マズいから金にもなんね~」
「何この見てくれの悪さ。みだぐなすだずね~」
なんて嫌われ、バカにされ、「みだぐなす」なんてあだ名まで付けられる始末。
山形弁では「ブサイク」とか「見てくれが悪い」ことを「みだぐない」とか「みっだぐない」と言います。
これに「梨」を付けたら「みだぐ梨」。
訛った結果、「みだぐなす」となりました。
こうして、「マズすぎて何の役にも立たない果物『みだぐなす』こと『ラ・フランス』」という不名誉な称号をゲットしてしまったのです。
受粉樹としての役目しか与えられず、せっかく実がなっても畑に捨て置かれるほどの扱いを受け続けることウン十年。
我慢に我慢を重ねたラ・フランス。
価値が認められるまでもう少しです。
ラ・フランスは美味しい!でも・・・
洋梨「バートレット」農家に植えられた受粉樹「ラ・フランス」の価値に真っ先に気付いたのは、他でもなく洋梨農家でした。
「美味しくない」と畑に捨て置いた実がいつの間にか柔らかくなっており、とてもいい香りを放っていることに気付いたのです。
食べて見てビックリ!
なんという美味しさでしょう!
こうして、洋梨農家の間でラフランスの評価は変わっていきました。
追熟させれば美味しくなるということに、やーーーーーーっと気付いたのです。遅すぎです。
でも、まだ陽の目を見るには至りません。
当時の主力品種「バートレット」は主に缶詰に加工するための洋梨で、太平洋戦争後の昭和20年から30年にかけて、栽培面積が増加していきました。
昭和40年代になると、輸送技術が発達し、世間の需要は缶詰フルーツから生食フルーツに移ります。
このころになると、ラ・フランスは絶品であり、美味しく食べるには追熟が必要であることは承知の事実となっていました。
美味しいのは知ってはいますが、技術不足で追熟管理が上手くいかず、世に出せないという状態が続いたのです。
そうなると、消費者の生食フルーツへの移行で、バートレットの缶詰は売れない、美味しいはずのラ・フランスも生食できない。
それにより西洋梨の生産量も減少していくという「西洋梨消滅の危機」が訪れたのです。
西洋梨が無くなっても、関係農家しか困ることはありません。
だって、山形県にはまだまだ果物がたくさんありますから!
さくらんぼ、もも、ぶどう、りんご、柿、和梨などなど。
山形県は果樹王国ですからね。
ここで立ち上がったのが、西洋梨生産農家と農協職員です!
追熟管理技術、ついに完成!
ラ・フランスの味に魅了された生産農家と農協職員は、それまでの主力品種のバートレットからラ・フランスへの栽培転換を図ります。
栽培技術や病害虫の駆除方法などの研究を進めると同時に、昭和56年、当時の大江町農協に待望の「低温貯蔵庫」が完成します。
生産農家と農協職員は、直ちに低温貯蔵庫を使った追熟管理技術の研究に取り掛かり、ついにこれを完成させます。
これにより、これまでは一気に柔らかくなって、あっという間に過熟して腐ってダメになってしまうラ・フランスを、好きな時期に柔らかくしたり、柔らかくなる速度を調節したりできるようになりました。
こうして、消費者に絶妙なタイミングでラ・フランスを出荷できるようになったのです!
「みだぐなす」から「洋梨の女王」へ
昭和60年以降、追熟技術の完成により、広く一般的な値段で提供できるようになったラ・フランス。
その圧倒的な芳香と甘み、とろけるような食感から「洋梨の女王」と評されるまでになりました。
その昔、「硬くて石みたいでとても食えたもんじゃない」といわれたラ・フランスの姿はもはやどこにもありませんでした。
本来であれば、ラ・フランスはただの洋梨の一種です。
ですが、今では「洋梨=ラ・フランス」というイメージが広く一般に浸透するまでになっています!
もう、山形県民として誇らしいばかりですよ!はっはっは!
生産量も、ラ・フランスの国内の栽培面積は、2013年時点で987ヘクタールなのに対し、バートレットは同条件で94ヘクタール。
栽培面積もこのように大逆転し、およそ10倍の差がついています。
「洋梨の女王」、故郷フランスに凱旋帰国!
ラ・フランスの栽培方法が確立してから、日本では主に山形県を中心に、長野県、山梨県で生産されています。
しかし、肝心の母国フランスでのラ・フランス事業は絶滅寸前だったのです。
その理由は、栽培期間が長いからという理由が一つ目。
通常の果物は、花が咲いてから1か月から3か月くらいで収穫できます。
さくらんぼでは、4月中旬に花が咲き、6月上旬から7月上旬くらいまで順次収穫されます。その期間2か月。
桃だと、3、4月に花が咲き、収穫は6月から9月までと、こちらも開花後3か月後くらいからは収穫できます。
ラ・フランスは、5月の中旬に花が咲き、収穫できるのは10月中旬ころ。栽培期間が5か月もかかるのです。
しかも、その間に摘果などで果実数は減少することになります。美味しいけど、手間がかかるし量が取れない。
フランス人からは「効率の悪い果物」と捉えられてしまったようです。
理由の二つ目が、気候が合わなかったからです。
フランスの気候は、乾燥していて比較的安定した温暖な気候なんだとか。
寒暖の差があまりないってことは、果物にとってはよろしくありません。
何でか知ってます?
超簡単に教えて差し上げましょう。
まず、果物の木は、冬の厳しい寒さの中で休眠することが必要なんです。これをしないと、寝不足状態になり開花しなかったり、芽が出なかったりします。
また、日々の寒暖の差が大きいことが、美味しい果物を作る上では必須です。
日中の暖かい時間帯に光合成をして糖分を蓄え、夜の呼吸エネルギーとして使いますが、寒ければ呼吸活動は弱まりますね。
つまり、糖分の過剰消費が抑えらえ、甘みが増していくという訳です。
と言う事は、安定した温暖な気候は、ラ・フランスに合わなかったという事なんですね!
こんな理由でラ・フランスが絶滅寸前になっていたフランスに、救いの手を差し伸べたのが山形県天童市にある「JAてんどう」です。
今から30年ほど前の1991年のこと。
ラ・フランスの生まれ故郷のフランス(フランス国立研究所)に、JAてんどうがラ・フランスの苗木1000本を贈呈したのです!
これには、山形県のラ・フランスへの感謝の念が込められていました。
苗木の贈呈を受けたフランスでは、再度ラ・フランスの栽培が始められたということです。
めでたしめでたし!
美味しく食べる前に、「ラ・フランス」を追熟させよう!
美味しく食べる前に、ラ・フランスには欠かせない「追熟」について詳しくお話しましょう。
分かっていただけたと思いますが、ラ・フランスは、木になっている状態の物をもぎ取って食べても、がりがりゴリゴリ、全然美味しくありません。
このフルーツは、「もぎ取った後に一定期間寝かせることで柔らかくなるフルーツ」なのです。
暖かいところに置いておくほど追熟が進み、寒いところに置いておけば遅れます。
宅配サービスを使って箱買いすると、おそらくこのような感じで手元に来ると思います。
こいつら、常温でこのまま10日間くらい置いて追熟させると、
全部一斉に柔らかくなり始め、全部一斉にあっという間に過熟し、ぶよぶよのドロドロになります。
大げさに言っているわけではありませんよ?柔らかくなり始めて過熟を通り越してブヨドロになるまで、たった数日です。
そのため、下手すると一日で4つも5つも食べなければならないなんていう「苦行」に発展する可能性があります。
絶品なラフランスを苦行にしてもらいたくありませんので、ワンポイントアドバイスを致します!
冷蔵庫を有効活用することで、段階的に柔らかくすることができます!
冷蔵庫にぶっ込んでおけば追熟がより遅くなりますので、食べたい個数ずつ常温に戻して置いておき、完熟させる方法を取るのが間違いなし!
「食べごろにお届けします」なんて謳い文句を掲げているネット販売もありますけど、正直おススメしません。
一斉に柔らかくなってブヨドロになって手に負えなくなる可能性があります。
ラ・フランスはガリゴリ状態のときに買っておくのが絶対おススメ!
「ラ・フランス」の美味しい食べ方
さて、ここからは美味しいラフランスの食べ方について説明していきます。
最初はもちろんこちら!
ラ・フランスを生食で食べる!
せっかく買ったラフランスを生食で食べなければもったいなさすぎます!
追熟が難しいのが難点ではありますが、慣れてしまえばさほど難しくはありません。
徐々に軸がしおれてきて、軸の周りにしわが出てきて、柔らかくなってきたら食べごろです!
画像引用:山形味の農園
こうなれば、あとはリンゴ同じ剥き方で皮を剥けばOK!
画像引用:山形味の農園
その芳醇な香りと、濃厚かつ爽やかな甘み、とろけるような口当たりの良さを是非体感してみて下さい!
ラ・フランスをジュースで飲む!
ラ・フランスは、その濃厚な味はもちろん、香りの良さも相まって、山形県内の六次産業としても重要な役割を担っています。
その一役を買っているのが「ラ・フランスジュース」です!
「食べる」か「飲む」かの違いで、どちらも全く味は一緒!
皮を剥く手間なども無く、手軽にラ・フランスの美味しさを味わうことができます。
ラ・フランスをジャムで味わう!
ジュースにもできるなら、もちろんジャムにもできます。
パンはもちろん、ヨーグルトにかけて食べても美味しいです!
素材の味が強いので、「ラ・フランス食べた感」も抜群ですよ!
(執筆参考:山形味の農園、Re VALUE NIPPON、さがえ西村山農業協同組合、果物情報サイト果物ナビ、山田ガーデンファーム、Wikipedia)
いかがだったでしょうか?
ラ・フランスが「洋梨の女王」と呼ばれるようになった理由、その美味しさ、十分にわかってもらえたものと思います。
全国の中でも、特に西日本、四国、九州、沖縄の皆さんにぜひ食べていただきたい!
おそらく、向こう側の方々はあまり食べたことが無いでしょうから。
もちろん、その他の地域に住む方にも是非食べてもらいたい逸品です。
食べて感動しろ。その香り豊かなとろけるような味わいに。
おわりに
当ブログでは、我が山形県への旅行や移住、特産品の購入を考えている全国の皆さんに対し、少しでも役に立つ情報をまとめています。
わたしが実際に観光地などに行ってみて直接取材していますので、限りなく観光客と同じ目線に立って記事作成に当たっています。
実際にその場所まで行く必要があるので、ちょっと記事を書くペースは遅くなるんですけど・・・
この記事以外にも、山形県内のそれぞれの地方ごとにまとめた記事がありますので、ぜひコチラもご覧ください!⇒【山形県を遊び尽くす】
以上でーす!